佐久間健の執筆活動



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新聞寄稿(生産性新聞 2005年12月5日)

会社は誰のものか―CSRの視点から考える

『市場偏重主義は社会の賛同得られず
 〜ステークホルダーあっての「企業の存在」』

「会社は誰のもの」。ライブドア、楽天、村上ファンドなどによる株の取得問題を巡り、今このことが盛んに言われている。

「会社は誰のもの」が社会で本格的に議論されだしたのは1990年以降の企業の不祥事がきっかけで、コーポレートガバナンスの必要性が強く言われ、例えば日本的な会社は従業員のもの的な考えから米国流の「会社は株主のもの」の考えが急速に広まった。

しかし、エンロン、ワールドコム事件は、株主至上主義、市場偏重がもたらす問題への反省となった。EUでは90年代頃からCSRを求める声が強くなり、「企業は株主のものではなく、ステークホルダーのもの」との考えが主流となっている。

これを強く支えたのが、03年のエビアンサミットでの「G8宣言」である。この中で、市場規律を高める適切な規制の実施、株主への透明性の向上および金融情報の質の確保、そして企業の責任ある企業活動の強化を積極的に支援していく、とCSRの重要性を提言している。

CSRを簡単に言うと「企業倫理や法令を遵守し、環境へ配慮した経営を行い、企業本来の使命である安全で良質な製品とサービスの提供をする。製品を製造・販売・廃棄する過程において、企業は従業員、顧客、株主、取引先、地域社会など各ステークホルダーの利害を調整し、経済的側面だけでなく社会的側面にも責任を持つことである。利益を出す過程が重要なのである」。

CSRでは株主は特別優位な立場ではない。「会社は誰のものか」をG8宣言の再確認とCSRの視点から見ると次のようなことがいえる。

今回の敵対的買収では、法令ぎりぎりの行為や抜け道を探したり、倫理上、社会道義上、腑に落ちないことが多い。村上ファンドの5%ルールの悪用や彼らの不透明さ、市場規律への倫理観の欠如などは、社会における企業の存在をおかしくする。

このような株主が善良な株主と同様に、法のもとに堂々と「会社は私のもの」といわれても納得しがたいところがある。彼らは「ネットと放送局との統合による企業価値」を唱えてはいるが、企業を投資の対象としか考えない市場偏重主義であり、これが社会から賛同を得られない理由となる。

顧客は製品やサービスの購入で、株主はお金で、従業員は知識と労働で、取引先は資材やコンテンツなどを、地域社会は従業員やエネルギーを提供することにより企業は成り立っており、「会社はステークホルダーのもの」との考えが成り立つ。

また、今は企業の株主は少数の資本家ではなく、個人の年金を預かる年金基金の機関投資家や大衆投資家、従業員が株主の一部を構成している時代であり、会社はステークホルダーのものとの考えがCSRでは納得しやすい考えである。

会社法の権威者である早稲田大学の上村教授は、「家に亭主がいるがごとく、企業には株主がいる。しかし個人企業と同じ感覚で企業の所有者とは言えない。誰のものかあえて言えば、企業により皆違う。東京電力は需要者が第一であり、銀行は預金者で、証券会社は投資家である」という。

CSRでも企業によりステークホルダーの順位付けがあるがそれと一致する考えである。つまり放送局の場合は視聴者である。

白馬の騎士で有名な北尾氏も「企業は株主のものだけでなくステークホルダーの存在も重要だ」といっている。米国グーグルの役員もNHKのインタビューで同様なことを言っている。サントリーの佐治社長も同様で、株主なら何でもできる風潮に批判的である。

今回の買収劇は仕掛けられた企業側にも問題がある。電波法の保護下のためか企業防衛体制も甘い。企業としての戦略も明確でない。

日頃からステークホルダーに支えられて企業があるとの意識が足りなく、ステークホルダーへの説明責任を果たしているとも思えない。買収側には倫理の問題があるが、仕掛けられた企業には経営上の問題がある。お互い株の所有のみを通してのやり取りしか見られない。

企業がステークホルダーのものとの考えから言えば、両社は企業の社会的責任を果たしているとは思えない。